デザイナーの橋本です。
2023年の暮れから2024年の始めに訪れたフランス「アートと建築の旅」。
旅のゴールは、学生の頃から想い続けてきた画家 二コラ・ド・スタールの探訪です。アンティーブのピカソ美術館で残念ながら会えなかったド・スタールを、パリで開催されていた大回顧展(2023/9/15-2024/1/21)で挽回しました。
目的は、自分自身が「ド・スタールの何に魅せられてきたのか」を知ること。
期待を胸に、パリ中心部セーヌ川ほとりのパリ市立近代美術館へ。


到着し、まず驚いたのは、その人気の高さです。
日本ではあまり語られることのない彼の作品ですが、フランス国内では以前開催されたポンピドゥ―センターの展覧会から22年ぶりだったこともあり、パリジャン、パリジェンヌでいっぱいでした。
観光客らしき姿は全く見られず、特に高齢の方が多い印象。
学芸員にド・スタールの発音を教えてもらっていたり、作品について積極的に質問したり・・・、といたるところで活発な様子。
「アートを考察する」という真剣な雰囲気が伝わってきます。
この訪問の新たな目的が加わることに。
「フランス人をここまで惹きつけるド・スタールの魅力とは・・・」

今回はヨーロッパ・アメリカのパブリックおよびプライベートコレクションから集められた200点の絵画、デッサン、版画が年代別に展示されており、時代によるスタイルの変遷が見られる貴重な内容でした。
ロシア人の二コラ・ド・スタール(1915-1955)は、ロシア革命でポーランドに家族で亡命、父母を亡くしベルギーの養家の支援で美術の高等教育を受けます。絵画と文学に興味を持ち画家を志すようになり、41歳で亡くなるまでの15年間になんと1,000点以上の作品を残します。
展覧会で見た画風の変遷を、心に残った作品を取り上げつつ、ド・スタールの人生と彼が残した手紙(言葉)を重ねながら私なりに考察していきます。
<参考文献>
「二コラ・ド・スタールの手紙」
「Nicolas de Staël / Musée d'Art Moderne de Paris」
【画家としての旅、ジャニーヌとの時代(1934年ごろ〜1947年)】
ベルギーで装飾・デザイン・建築を学んだ後、南フランス、スペイン、モロッコなど旅をしながら数々の芸術に触れ、そして描き始めます。
モロッコで後のパートナーとなる年上の画家ジャニーヌに出逢い、1940年からジャニーヌの連れ子と娘アンヌと4人で南仏ニースで、その後パリで暮らすことに。

1934「カシの眺め(南仏)」20歳

1941「ジャニーヌの肖像」26歳
最も初期の作品です。人物や風景など対象を忠実に表現しています。
ド・スタールらしさはまだ見られませんが、画力がありながら穏やかで温かい雰囲気がでています。
1946年、ジャニーヌが病気で亡くなってしまいます。
「すべてを与え、亡くなってもなお与え続けてくれる。」
ジャニーヌの母に宛てた手紙にこう記していることから、貧困時代を共に歩んだ最愛の人であり、精神的にも支えられていたことが分かります。
「ジャニーヌの肖像を何点か描き続け、いったい何を描いたのだろう。対象を写実的に描くことが窮屈に感じらてきた。自由な表現を模索していきたい。」
失意の中、表現は黒色を多用し、具象のその先にある抽象的な世界観に移っています。

1946-7「ダンス」32歳
【パリ・ゴーゲ通りのアトリエ時代(1947年〜1953年)】
ほどなく英語教師フランソワーズと結婚。1947年からパリのゴーゲ通りの光溢れるアトリエを拠点に、家族を養うために精力的に制作をしていきます。
マティエールはどんどん濃く、太く、油絵具をペインティングナイフで厚塗りし、色の重なりや色面で構成するスタイルに没頭している様子が分かります。
一方で色彩は、「黒の時代」を経て白色や明るい色が使われていくという変化も見てとれます。
「知性と素材の間には、とてもデリケートな知覚によって『美』に到達するまでに、なんとおびただしいコンポジション(構成)とデコンポジション(解体)が起こることか。」
美術評論家である友人に、そう打ち明けています。
私はこの時代のド・スタールらしい作風に最も感銘を受けてきましたが、改めてそれを確認することが出来ました。
抽象的なコンポジション(構成)が四角形を多用する技法に進化していき、風景画や花などの静物画にもリズム感があり軽やかさすら感じます。
明るい色を効果的に使っているのも、画家として、父親としての充実感の表れではないでしょうか。

1949「コンポジション」35歳

1952「花」38歳
ド・スタール愛用のパレットが展示されていました。
絵具箱をパレットにしていたようです。
絵具の量から、厚塗りに取り組んでいた彼の様子が浮かびます。

1949年ごろから、ド・スタールの認知度、評価は上がっていきます。
フランス政府が作品を買い上げたり、ニューヨーク、パリ、ロンドンで個展を開催したりと画家として認められてきます。
特に1950年のニューヨークでの展覧会は大成功を納め、大手ギャラリーと契約を結び、作品制作を促されるようになり生活が大きく変化していきました。
ニューヨーク近代美術館からのアンケートには次のように回答しており、画家としての自信と充実ぶりがうかがえます。
「私は絵画という材料を使って、ひとつのハーモニーを実現したいと思っている。私の理想は私の個性によって決定されています。」
その後、題材が風景や静物画からコンサート、バレエ、サッカーへと広がり、再び具象化していきます。
「そこで感じた衝撃、振動を表現したい。」
サッカーの試合を題材にした長辺3メートル以上ある大作です。色彩と色面の最小限の要素で、選手たちの躍動感を最大限に表現しています。

1953「パルク・デ・プランス」39歳
【南仏プロヴァンスのアトリエ時代(1953年〜1954年)】
充実した画家生活の中、南仏プロヴァンスのメネルブにある古城にアトリエを移します。
「無限の地平線を持つ楽園」
と友人に宛てた手紙に記しているほどお気に入りだったようです。
この地で友人の娘ジャンヌに雷鳴のような出逢いを果たします。
この時期の作品に最も変化を確認できるのは、色彩の明るさです。
テーブルの上のモノを全てブルーに、背景のオレンジと、テーブルのピンクの下に見え隠れする微かなオレンジが魅力的な作品。

1953「バラ色のテーブル」39歳
舟のある風景画。水面を光溢れるオレンジの色面で表現しています。構図が心地よいです。

1954「マルティーグ(南仏)」40歳
この頃の絵画は、マティエールがより軽く薄く、画風に流動性が出てシンプルになっています。
「僕はこんな彩り ―はかない色、あるものはありえないような輝かしい色、静かな色― を見たことはない。なんという喜び、なんという秩序。僕はとても幸福だ。」
ジャンヌとの出会いが心情に変化をもたらしたのだと想像できますが、南フランスを旅してきた私にとってピンクやオレンジを使う画家の視点に共感しました。きっとこの地の温かい気候や光がそうさせたのではと想像しました。
【アンティーブ(1954年〜1955年)】
ジャンヌを追って海沿いのアンティーブにアトリエを借ります。
「なんという少女、大地は感動で震える。」
インスピレ―ションを与えたと言われている最後に恋をしたジャンヌをモデルにした作品。

1954「横たわる青いヌード」40歳
アンティーブ期間は、徐々に不穏になるジャンヌとの関係や作品制作へのプレッシャーなのか、気持ちを反映しているように色彩の彩度が落ち着き、モノトーンやシックな作品が増えています。
ド・スタールはアトリエの絵をたくさん描いていますが、青で表現されたこの絵からは室内の温度や静けさを感じます。

1955「青い背景のアトリエの隅」
そして、最期の作品となる「コンサート」(パネル)
この絵はド・スタールが実際にコンサートに行った時の高揚感を描いた作品です。
彼の中で一番大きい長辺6メートルの大作は、残念ながらパリでも見ることが出来ませんでした。
「僕は持ちこたえられなくなり、考えに考えながら毎日筆を入れているのだが、いつもめまいのうちに終わる。」
パリとアンティーブでの展覧会を控え、極度に神経をすり減らし、この作品を描き終えることなくアトリエからアンティーブの海へ身を投げ亡くなってしまいます。

1955「コンサート」 絶筆
(この記念碑的な作品は、アンティーブのアトリエに近いピカソ美術館に1986年より常設展示されています。)「真の絵画は、常にあらゆる面、すなわち現在の瞬間と過去および未来の不可能な寄せ算に向かうものです。」
<展示を見終えて・・・>
私は、10代にド・スタールの画集に出会い、その中の作品を何度も見てきました。
その色使い、マティエール、グラフィカルな構図に魅せられてきました。
今回、多くの実物の作品を見て、それらが合わさって表現されている「独特のハーモニー」に確かに気づくことが出来ました。それはとても心地よく、ある種の抒情的な音楽のようなものでした。
具象から抽象へ、そして再び具象へと変化した稀有な画家として評されるド・スタールですが、今回の訪問と考察で、そういった表現方法の枠組みではくくれないものを私は感じ取りました。
変化ではなく進化。ジャンヌをモデルにしたヌードにも見られるように、人物画が風景画にも見えるところは、対象の本質的なものに着眼し、もっとスケールの大きいテーマを表現したかったのではないでしょうか。
それは最小限の要素で最大限の想像をさせる表現とも言えると思います。
そして、マティエールや色彩の変化は、「光」もあるのではと感じました。
「光が変わると物事に対する考え方が少し新しくなります。」
と彼自身も語っています。

最後に、ド・スタールがフランス人を惹きつける理由は、より深く納得できたような気がします。
作品に見られる具象と抽象の先の「普遍的な美しさ」、「洗練とモダン」のエッセンスは、アートへの関心と美意識が高いフランス人に評価されるものでしょう。
また、今回、ド・スタールの作品の変遷に、彼のドラマティックな人生 ―愛する人への想い、家族を養おうとする強さ、そして禁断の恋― を重ねて考察してみましたが、抽象的な作品にも人間的なものを感じ、絵が動的、立体的に見えました。
フランス映画の1シーンのように。
<Une petite pause“ちょっとひと休み”>
ミュージアムを出るとすっかり日が暮れていました。
セーヌ川の向こう岸にライトアップされたエッフェル塔。
旅も終わりが近づいてきました。

コンセプト ジュエリーワークス
デザイナー 橋本志織
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